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「貫通行動」について

A:『貫通行動』とは、何についての闘いか、また、何の為の闘いかという風に言い換える事ができます。例えば、ある人が『公平さ』の為に闘っているとしましょう。 それを得ようとする際、人ぞれぞれの『公平さ』への理解が違ったりするので、周りにいるそれぞれの人間が障害になりますよね。 まず、この人物は、『公平さが存在する事を望んでいる』これが彼の秘密の夢で、つまり『超課題』です。例えばワーニャ伯父さんの秘密の夢がそれだとしましょう。 彼は、その事が実現する事を夢見ています。でも周りの人間にはそれが良く理解できないし、受け入れられません。それが、ワーニャにとっての障害になるわけです。その障害を乗り越えようとする為には、何らかの行動を起こす必要がありますが、様々の障害を一つの方法だけで克服する事は不可能です。つまり、相手によってまたは、事柄によっていろいろな行動を使って克服しようとするわけです。大事な事は、その際にも『貫通行動』は一つなのです。つまり、ワーニャ伯父さんが『公平さを』得ようとすることは一貫しているのです。 『貫通行動』は他の全ての行動を感じる助けになるものです。 一つの課題というのは、様々な行動によって達成する事が出来ますね。障害を克服する為に行動は都度新しく生まれなければならないもので、毎回変わる事が望ましいです。行動も毎回繰り返しになってはいけないものです。課題は行動とは違い維持しなければなりません。 勿論感情や関係性によって多少変わるものですが、基本的には固定するものですが、その課題から生まれる行動は常に変化するものです。 (01:15:05から01:15:37までカット) 勿論、最終的には全ての断片事の課題は一つの超課題に集約され、そこから生まれる複数の小さな行動も一つの『貫通行動』に集約されます。 いずれにしても、今私たちが話している事は知識のレベルだけで行われています。 すべて頭で分析している事に過ぎないのです。それは全て身体を使って検証しみる必要があります。知性と身体の分析を通して初めて何か直感的なものが生まれる可能性が出てきます。それが最も貴重な事なのです。芸術において最も重要で貴重な事は、前もってプログラミングしたものではなく、直感によって生まれたもの、つまり、自然がそのものが生み出してくれるものなのです。それは、潜在意識や超意識がやってくれる事です。 分析の段階は全て我々レベルの事でプログラミングされたものです。私たちの目的は分析の助けをかりて、潜在意識、無意識の領域に入っていく事ですから。 (01:16:53から01:17:07までカ17:5ット)

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内的注意と内的行動について

Q:内的注意と内的行動について具体的に教えて下さい。 A:内的行動とは、私たちの視覚化、イマジネーション、考えを使って行動する事です。 何故内的かというと、視覚化、イマジネーション、考えは全て私たちの意識の中で起こる事だからです。但し、それが「行動」と呼ばれる為には必ず「目的」を伴う必要があります。 私たちが何の為に視覚化やイマジネーション、考えや形象を生み出しているかを理解していれば、それは『内的行動』になります。それらが単なるカオスだった場合は、どれだけ内部にイマジネーションがあろうが視覚化があろうが『内的行動』とは呼べないのです。 普段私たちの頭の中には常にいろんな考えが流れては消え、混沌としています。それによって、私たちの意識の成長は邪魔されています。私たちは内部の混沌から解放されなければならないのですが、その為にも明確な「目的」の助けが必要になるのです。目的がなければ意識は常にあちこちに飛んで行ってしまいます。 もう一度言いますが、『内的行動』において重要な事は目的です。何の為に?何の課題を持ってこの行動をするのか?という事ですね。 内的注意とは、人間が持っている能力で、それは、別の空間で起こっている事柄を感じたり、感覚でとらえられるという能力です。 マイケル・チェーホフはこういう例を挙げています。人が恋に落ちている時、その人間が何をやっていようと好きな人への繋がりが切れる事はないですよね。 つまり、この人の内的注意は常に好きな人の方に向かっているという事です。離れていても好きな人を良く感じ、捉えているのです。それは、母親が子供にもつ感覚と同じですね。 私たちの外的な注意以外に、人間の意識が出来るユニークな事がこの内的注意なのです。 見えないものとの繋がりとでもいえばいいでしょうか。 もしかするとこれは、100年前から量子論の中で言われている『世界の非局所化』と関係があるかも知れません。つまり我々が世界全体と繋がているという事です。 内的注意はこの人間の能力と深いつながりがあると思います。 (01:05:27から01:05:35までカット) 人間はこの能力を授かって生まれてきていますが、なかなか普段使っていません。 人生のある特別な瞬間、例えば恋に落ちた時、または誰かについて心配になった時にこの能力が発揮されます。つまり、特別な誰か、事柄と結びついた瞬間に内的注意が強く働くのですね。 日常ではなかなか使いませんが、芸術家はこの能力を使います。内的注意なしには絵画も音楽も生まれようがありません。 マイケル・チェーホフは、興味深い事を言っています。『私たちは、内的注意の助けをかりて実際には見たこともない想像上の形象と交流することが出来る』と。古代の芸術家はこのい事をよくわかっていました。偉大な芸術家たちは内的注意の力で形象を見て、捉えようとしていたわけです。それが見えて初めて絵画として描く事が出来たのです。 何年もその形象が内部に現れるのを待ち続けた芸術家もいます。 内的注意は、この3次元の世界との交流だけではなく多次元の世界との交流の能力を育ててくれるのです。 スタニスラフスキーは、俳優は第三の存在を生み出すと言います。俳優自身と作家が描いた形象(イメージ上の人物)が融合された時に生まれるのが第三の新しい存在です。 我々が作り出すそのような第3の存在も多次元世界に生き続けます。また、私たち人間もこの3次元の世界だけに生きているのではなく、多次元に住んでいます。私たちの感情、考えは3次元ではなく違う次元に生きていますよね。 内的注意は、この多次元世界に生きる様々な存在、形象との交流を可能にしてくれるのです。 そこまでいけば、本当の芸術、高次元の創造と呼ぶことができるでしょう。

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俳優の役に対するメソッド

(00:58:16から) Q:俳優の役に対するメソッドは、行動分析のメソッド、身体的行動のメソッド、交流のメソッドの三つで間違いないでしょうか? A:その通りです。 行動分析のメソッドと身体的行動のメソッドはお互いに結び付いています。 行動分析のメソッドは二つの部分から成り立っています。はじめの部分は知性による戯曲の研究からなり、後半は、そこから得たものを実際に体を使って試すという実践の部分により成り立っています。知性による分析と身体的実践がある事により、知性の後に身体で確認し、身体で実践してみた後で更に知性によって分析し直すというように二つは影響を与え合っています。 スタニスラフスキーは交流のメソッドを『役への新しいアプローチのメソッド』と呼んでいました。これは、演劇芸術の土台となるものです。なぜかと言えば交流のプロセス(エネルギーの交換)が芸術に命を与えるからです。エネルギーの交換がなければ命もないのです。 この交流のメソッドは人間の能力そのものを発達させてくれます。その能力とは、舞台にいる間の瞬間瞬間において周りの世界を受容する能力であり、リアルにその場で思考する能力です。つまり、このメソッドは相手の考えや感情を見て感じ取る能力を育ててくれ、芸術家をより繊細な存在にしてくれるのです。勿論、システムが出来た当初は他にも沢山のメソッドがありました。その中でもスタニスラフスキー自身が拒否したものもあります。 危険だと感じたからですが。 今残っている土台となるメソッドが先程挙げた3つのメソッドです。

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俳優の自分に対するメソッド

Q:俳優の自分に対するメソッドは? A:1.身体の開放/2.内的注意/3.イマジネーション/4.もしも/5.真実感覚 その通りです。 スタニスラフスキーは、創造活動のプロセスを『化学反応』に例えて話しています。 人間そのものが化学的な実験室ですよね。創造のプロセスもいくつかのエネルギーを混ぜ合わせて生まれます。一つの要素に違う要素を加えて化学反応が起きる、と同じことですね。 創造もいくつかの要素の混合によって生まれるのです。スタニスラフスキーは、どの要素を混ぜ合わせる必要があるか、と言うことについて言っているのです。 一番目が、身体の解放。体の『エネルギー』の解放の事です。 例えば、『氣』のエネルギーによって解放する事が可能です。 二番目が、注意。まず最初に内的注意=超繊細な注意力を発達させる必要があります。 三番目は、イマジネーション 四番目が、『もしも』。これは俳優の個性と密接なつながりがあり、もしも『自分だったら、、』というところが重要です。他人のものでは意味がありません。 五番目が、真実感覚。 この5つの要素がお互いに影響を与え合い、創造のプロセスが始まるのです。 (00:57:43以降カット)

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人々を感動させる声について

Q:永井一郎さんの才能、能力をシステムの観点から分析すると、どうして先生の声はあれほど人々を感動させるのでしょう? A:永井先生は相当に発達したイマジネーション力を持っています。 イマジネーション力が才能を決めます。天才かどうかもこのことで決まります。 一緒に仕事をさせて頂いて気付いた事ですが、作品のほんの一部を読むだけで、イマジネーションにスイッチが入り、作品全体の意味を理解する事が可能な方でした。私はそれに感動しました。どうやってこの瞬時に作品の一番の芯となる理念、意味を捉える事が出来るんだろう?と。つまり彼は、自分の経験とイマジネーションを使って瞬時に登場人物の種(感情)を感じ取る事が出来たんです。勿論、永井先生は一生涯かけて声の訓練をされていた方ですから、技術の上でも達人です。その技術とイマジネーション力を駆使し様々な登場人物に合わせてセリフを読んでくれました。つまり、あれほど天才的に表現する為には両方が必要です。イマジネーション力だけで、声の技術がなければ作品の考えや感情は表現できませんね。 この二つの質である、技術とイマジネーション力(外側と内側)が永井先生の才能の源だと言えるでしょう。 (00:47:29から00:47:32の日本語はカット) しかも彼はスタニスラフスキー・システムを学んでいます。それもすぐに感じ取れました。 (00:47:39からカット)

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驚きと不思議について

A:この事もまた、私たちの意識の発達と繋がりがあります。 通常の意識というのは狭く、日常生活に縛られています。チェーホフも自身の戯曲の中でその事を描いています。つまり、われわれの意識は常に私たちがその場で見るもの、聞くものだけに限定されて向けられていますね。その意識が他の事柄、例えば空の星に向けられる事は稀です。特に大人の意識というのは常に何らかの「問題」の中に閉じ込められていて、その中をぐるぐる回っている事が多いです。そういう状態は、創造活動の際に大きな障害になります。そのような意識の状態というのは、知性の領域(つまり意識のほんの10パーセント未満)の輪の中に閉じこもったような状態です。問題は、それをどう開いていけばいいのか?ですね?子供たちを見てください。彼らはこの世界を全く違う風にとらえています。 彼らの視点は縛られていませんね。例えば、蟻を見つけて、それを長い間飽きずに観察する事ができる。なぜかと言えば彼らの受容システムは開いていて、観察している蟻の世界に驚いているからなのです。つまり、彼らの意識は他の大きな世界、自然という世界と繋がった状態になれるからなのです。 これは、つまり意識が閉じているか開いているかに関わっているのです。 スタニスラフスキーは、俳優は『子供にならないうちは舞台に立つ権利はない』と言っていますが、それは、赤ん坊のように世界を見たり聞いたりする必要がある。更に言えば、心で見て、心で聞く必要があるという意味なのです。そうなれば、「驚き」が何か神秘的な特別なものではなく、ごく自然な当たり前な事としてとらえられるようになると思います。私たちは皆子供でしたし、その「驚き」の能力は生まれた時に与えられているものですよね。私たちは大人になるにつれ、意識が閉じていっているだけなのですから。 つまり、「驚き」のトレーニングとは、意識を開いていくトレーニングなのです。 何故空は青いんだろう?何故葉っぱはこんなに緑なのだろう?何故、何故、何故? と聞くこのトレーニングこそが我々をより生きた、感性豊かな存在にしてくれ、世界に対して開いた状態にしてくれます。これはとても大事な事です。私たちが世界に対して開けば、世界も私たちに対し開いてくれますから。驚きを通して意識を開くトレーニングは簡単ではないです。最初は自分を少し強制し意識的に外的にやる必要があるかも知れません。そうするうちにいつしか驚きが自然になり、常に内的驚きというのを感じられるようになります。内的驚き、というのがまさに子供の驚きと同じものです。

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