驚きと不思議について

A:この事もまた、私たちの意識の発達と繋がりがあります。

通常の意識というのは狭く、日常生活に縛られています。チェーホフも自身の戯曲の中でその事を描いています。つまり、われわれの意識は常に私たちがその場で見るもの、聞くものだけに限定されて向けられていますね。その意識が他の事柄、例えば空の星に向けられる事は稀です。特に大人の意識というのは常に何らかの「問題」の中に閉じ込められていて、その中をぐるぐる回っている事が多いです。そういう状態は、創造活動の際に大きな障害になります。そのような意識の状態というのは、知性の領域(つまり意識のほんの10パーセント未満)の輪の中に閉じこもったような状態です。問題は、それをどう開いていけばいいのか?ですね?子供たちを見てください。彼らはこの世界を全く違う風にとらえています。

彼らの視点は縛られていませんね。例えば、蟻を見つけて、それを長い間飽きずに観察する事ができる。なぜかと言えば彼らの受容システムは開いていて、観察している蟻の世界に驚いているからなのです。つまり、彼らの意識は他の大きな世界、自然という世界と繋がった状態になれるからなのです。

これは、つまり意識が閉じているか開いているかに関わっているのです。

スタニスラフスキーは、俳優は『子供にならないうちは舞台に立つ権利はない』と言っていますが、それは、赤ん坊のように世界を見たり聞いたりする必要がある。更に言えば、心で見て、心で聞く必要があるという意味なのです。そうなれば、「驚き」が何か神秘的な特別なものではなく、ごく自然な当たり前な事としてとらえられるようになると思います。私たちは皆子供でしたし、その「驚き」の能力は生まれた時に与えられているものですよね。私たちは大人になるにつれ、意識が閉じていっているだけなのですから。

つまり、「驚き」のトレーニングとは、意識を開いていくトレーニングなのです。

何故空は青いんだろう?何故葉っぱはこんなに緑なのだろう?何故、何故、何故?

と聞くこのトレーニングこそが我々をより生きた、感性豊かな存在にしてくれ、世界に対して開いた状態にしてくれます。これはとても大事な事です。私たちが世界に対して開けば、世界も私たちに対し開いてくれますから。驚きを通して意識を開くトレーニングは簡単ではないです。最初は自分を少し強制し意識的に外的にやる必要があるかも知れません。そうするうちにいつしか驚きが自然になり、常に内的驚きというのを感じられるようになります。内的驚き、というのがまさに子供の驚きと同じものです。