「憎しみ」の使い方と物語の結末

舞台上で使う感情というのは、日常生活の感情とは違います。以前説明したことがあると思いますが、ワイン(舞台上で表現される感情)と、原材料の葡萄(日常生活で起きたそのままの感情)とは違います。

舞台の上ではどんな時でも、相手と優しさというつながりから始めます。

根底として相手と優しさとつながっているものがあれば、その上で憎しみだろうがなんだろうが、そして、本当に正直にお前のこと殺してやるという状態も作れます。

でもそれは相手との信頼関係があるからできるのです。

それがあると、葡萄とワインの例えにおける、ワインの状態になります。 なので、舞台上での感情は言ってみれば根底のものと二つ組み合わさっています。

最初につながりがあったら、実際に舞台上で相手とやりとりしているうちに、どんな感情が生まれてくるかはわかりません。 それは最初から計画はできません。 だけど、一番最初に相手と優しさでつながったところから、あとは交流しているうちに何が生まれてくるかは、その時次第です。

なので、毎回やるたびに、作品の見え方や感じ方が変わってきます。 そうやっていけば繰り返しがありません。

一番最初に相手との信頼関係と優しさでつながっていたて、やっているうちに、なぜか今日はもう相手に対する残酷な、今まで感じたことのないような気持ちがくるかもしれません。自分でもなぜこんなに残酷になれるのだろうと思うこともあるかもしれません。

戯曲は結論が決まっているじゃないですかと質問を受けます。でも実際はどうなるかわからないのです。

セリフは決まっています。でも、その時どういう感情が生まれてくるかはわかりません。どういう感情で終わるかもわかりません。そしてさらに、それを見てお客さんがどういう印象を持って帰っていくかもわかりません。

YouTube player