もし私が、イミテーションをずっとやり続けていると、自分の役とは絶対に結びつきません。結びつくことができなくなってしまいます。うまくいきません。 他人の言葉をずっと言い続けるだけです。全て他人事になってしまいます。 つまり、私自身がいなければ、全て他人事になってしまいます。
チェーホフが与えてくれている、提案された状況を、自分の中で生き直さなければいけません。生きた人間として。 そうすると自分自身が芸術的継承を生むことができるようになります。
役として、相手役がどういう言葉を話すかは前もってわかっていますが、どんな感情を込めて話すかは、前もってわかりません。 なのでラネーフスカヤ(桜の園の登場人物)をやっている女優は、その発する言葉に考え、感情をこめて、相手役に影響を与えるようにしなければなりません。 そして影響を与えられて、相手役はそれに反応しなければなりません。
その反応する時ですが、ただの自分自身としてではなく、ガーエフ(桜の園の登場人物)という要素をもって反応します。 ちょっとだけ、ガーエフの要素をもって答えなければなりません。ちょっとだけ変わります。
例えば私はみなさんの前では「先生」です。レオニードだけれでも「先生」です。でもスーパーに行った場合は、私は何かを買いに行く人「お客さん」です。 特に病院に行くと、全然自分が変わります。私はお医者さん大嫌いですから、目の前にお医者さんがいると・・・生きたレオニードですけど、病院に行くと、全然違う継承になってしまいます。病院に行くと、全然違う性質が勝手に出てきてしまうのです。
だからどういう職業を持っているかによって、やることとか性質も変わってきます。 スタニスラフスキーも言っていますが、自分は自分自身のままでいるのですが、提案された状況の中に入って、ちょっと違う人間になるだけです。
普通に実人生でも、そういうことは起きているので、何も演じる必要はないということです。条件によって変わるだけです。
そういうふうにしてしか、芸術的継承は生まれてきません。イミテーションをやってる時は、芸術的継承は絶対に生まれてきません。 芸術的継承は、自然の中で植物が育つように、自然に生まれてくるものです。